義務感は辛い 

 みなさんは、「~~したい!」ではなく「~~しなければならない。」と思いながらやっていることはなんですか?
過去のわたしのお話しをしますね。30代は子育ての真っ最中でした。仕事もしていたので、平日はてんやわんやの日々です。食事の支度と後片付け、洗濯機を回して干して畳んで、子ども達の宿題もお尻を叩きやらせたり・・・家事は、ほぼ「やらなければならないこと。」という思いでやっていました。でも、それも当たり前のことで、嫌でもやらなければいけません。
 ただ、そういう気持ち(やらなければいけないこと=義務感)でやっていたので、楽しくありませんでした。つい不機嫌になっていました。毎日やることに追われ、子ども達は言うこともきかない、思い通りにならないことばかりです。
 いつも、子ども達を怒ってばかりいたなぁと、今でも思い出すと後悔しています。
 

 
 ある研修ショック受けた事

 そんな30代に、わたしは会社で研修を受ける機会がありました。その講師は福島正伸先生という、かなり個性的な講師でした。
例えば、落ち込むような出来事に対して、ポジティブなコトを無理やり考えさせるようなワークがあり、今でも鮮明に覚えています。それは、お財布を落としたという出来事からポジティブなことを考えるワークがあったのですが、お財布を落としてポジティブなことなど絶対あり得ない、そんなことは無理だと思いました。
 過去のリーダーシップ研修の内容とは全く異なり、ある側面では理想かもしれないけれど、現実的には無理でしょう、と思ってしまうようなことばかりを福島先生は問いかけてきます。

 その研修で、あるワークがありました。それは「日々の生活や仕事の中で、やらなければならないことを書き出してください。」というものでした。わたしは、「そんなのあり過ぎるわ。」とスラスラと家事のことを始めとして、20項目が書けるワークシートをすぐに埋め尽くしました。大抵、研修で何か思いつくことを書く場合、沢山書けると良いと言われていますから、わたしは書けた達成感に浸っていました。

 すると先生が「20個全部かけた人は手を上げて!」とおっしゃるので、勇んで手を上げました。そしたら先生は「残念でしたね。このワークは一つも書けない人がいいんですよね。」とおっしゃいました。「え?そんな人いないでしょう!?」とわたしは思いました。この時の衝撃はかなり大きくて、後々、理解できたのですが、「ねばならない」が1個もなくなるというのは、今でもいくつか時々顔を出してくることもあり、難しいことだなと思います。

自己否定ばかりで自己肯定感はもてなかった

 今、断捨離をして思うのですが、以前はまず家の散らかりがひどく、片づけなければならないという思いはいつもありました。平日は仕事にかまけて、家事といえば食事と洗濯で手一杯で、片付けや掃除はできず、土日のどちらか週1回だけやっていました。まず、掃除機をかける前に、散らばったモノを片づけなくてはならず、それだけでも結構な時間を要しました。
 ですから、片付けと掃除は特に嫌な家事と思っていて、「やらなければいけない、でも面倒くさい・・・」と、なかなか腰が上がりません。そして、食事の支度をするキッチンも荒れ放題、洗濯物の収納もままならず、片付けと掃除をしなければいけないところは、家中あっちもこっちもなので、重い腰がなかなか上がらなかったのです。
 こんな状態なので、家事は嫌いでした。すべてが義務感で、料理が好きとかも全く思えず、母親であり主婦でもある自分に対して自己否定ばかりで自己肯定感が持てなかったのです。
 自己肯定感が持てないと、他人に対しても否定的な部分だけが見えてしまいます。子供たちのことも褒めてあげられず、不足な部分を正そう正そうと叱ってばかりいたんだなと、今になって思います。

「~~ねばならない」から「~~したい!」に変換

 福島先生の研修を受けて、なぜ「ねばならない」思考が良くないのか、頭ではなんとなく理解はできました。義務感は人を抑圧する側面があります。心の中の本音は、大変そうだから、面倒くさいから本当はやりたくない、と考えているのですから、意欲的にやりたいということではないので、どんどん先送りをしてしまいます。
 仮に大変なことであっても、多少興味や好奇心が湧いてきたら、「やりたい!」とまで意欲的でないにしても、知っている人に聞いてみるとか、本を買って読むとか、何かしらの行動に出るのがわたしたちです。そして、何かしらの一歩を踏み出せたら、それは大きな一歩につながっていきます。
 わたしは当時、仕事で社員教育の事務局をしていました。実際やる仕事は地味で、時に膨大な準備作業もあり、前任者はお手上げだったほどでした。でもわたしは、研修そのものが楽しみだったので、地味な作業も決してイヤだと感じませんでした。なので、仕事は「ねばならない」ではなく「したい!」という思いが大きかったのです。
 そんな自分自身の体験や経験からも、家事を義務感と思ってやることが、ますます苦手になり嫌いになっているんだと理解しました。でも、どうしたら家事を「やりたい!」に変換できるのか・・・

モデルルームに憧れたのに現実は・・・

 わたしは、苦手な家事、特に片付けをどうにかしたいと思い、本や雑誌を集めました。26歳で新築のマイホームを建てましたが、色んな本を見て、モデルルームのような家に憧れ、当時新しいタイプの対面式キッチンにして、その夢は叶っていました。
 家という器は、何の申し分もありません。しかし、家の中はモノが溢れ、憧れのモデルルームには程遠い状態でした。どこから、どう手をつけていいのかもわからず、本や雑誌を買ってみましたが、書いていることはなるほどと頭で理解できても、一歩も行動できず、ますます自己嫌悪に陥っていきました。多くの本には、モノの住所を決めて戻す、汚れはコマめに掃除し、まとめてやらないなど、それができないから困っているのです。家の間取りや家族構成によっても違うので、雑誌でみる片付いた家は参考にならないと思ってしまいました。
 義務感に思わずに、家の片付けをしたい!と変換させるにはどうしたらいいの?
 色んな本を買いましたが、だんだん始めの数ページを読んで、読むのも途中で挫折するようになっていたのですが、通勤のカーラジオから「断捨離ってご存じですか?新しい片付けの本なんですが、今、売れているんですよね。」と、「ダンシャリ?」初めて聞く言葉でした。字は「断つ」「捨てる」「離れる」という文字。それも、何度も聞くようになり、もう自分でも片付けることを半分諦めかけていた頃、断捨離の本を買って期待しないで読み始めたのです。

 

まずは行動、それが一番の近道だった

 2010年12月、それは「新片づけ術 断捨離」の本が出て1年経っていました。断捨離についてメディアでは賛否両論話題になっていました。わたしは、藁をもすがる思いというよりも、自分が片づけられないという自分への不信感の中、とりあえず買ってみたという感じでした。その本のページをめくっていくと、これまで読んだ本とは、何か違いました。片づけ方のノウハウは書かれていません。「片づけられないのはモノが多いだけ」「あなたが悪いのではありません」「そういう社会に、時代にいるから仕方がないのです。」と、書かれていました。
 自己否定、自己嫌悪、自分を責める思いばかりが強くなって、片づけようという意欲のカケラも無くなっていたわしが、「断捨離」の本を読んで救われた気がしました。すぐにゴミ袋を出して、捨て始めました。
 自分でもビックリ、驚きでした。「わたし、行動できた!ゴミ袋に捨てている!わたし、やっている!」 ゴミを捨てながら、なぜだか楽しい気分になっていました。行動できている喜びを感じていました。
 「まずは行動!」この言葉は、断捨離のやましたひでこも連発するのですが、会社の研修でも「耳だこ」でした。研修で得た知識は行動、実践しないと意味がないと。知っていたからこそ、行動できない自分が本当に嫌でたまりませんでした。家事は好きじゃない・・・その思いがますます義務感で自分を重くしていました。

 でも、ゴミ袋を持って、リビング、キッチン、玄関と次々に不要・不適・不快なモノたちを捨てていくと、当然、家が少しずつ片づき始めていったのですが、それ以上に自分自身が軽くなって、片づけるコト、モノを捨てることが面白くなっていったのです。
 わたしにとって大きな変化でした。片づけるコトやお掃除は仕方なくやるものだったから。家庭訪問のため、人が来るから、お盆だから、年末だから・・・と、「やらなければならない」義務感でやっていたのが、「今度はこっちをやろうかな?」「これ、ここじゃなく移動させてみようかな?」と、片づけと同時に、配置換えや引き出しの中身を入れ替えて見たくなったりして、いつの間にか「やりたい!」になっていました。
 そうだ、これだ、福島先生がおっしゃったのは「やらなければならない」は、1つもないのが正解ってことなんだと。
 行動してみたら、全く思いもよらないほどのモチベーションが生まれ、わたしは片づけが嫌いと思っていたのは、思い込みだったんだと、そう思えるようになっていました。

 わたしは、この経験で「~~ねばならない」も一緒に断捨離できたと、そう思いました。